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関ジャニ∞の横山裕「オニギシ」のように懐かしいおふくろの味

横山裕(関ジャニ∞)
横山裕関ジャニ∞

第122回「一番飯店」

 アイドルだって飯を食う。長きに渡った本連載も今回が最終回。町中華ブームに先行した著書も手がけた筆者なので、最後は20代に繁く通った高田馬場の店を紹介して終わりたい。

 その店を関ジャニ∞横山裕がテレビ番組でたっぷり紹介したと知り、ちょっと嬉しい心持ちなのだ。その横山が40歳で連続ドラマ初主演を務めた、『コタローは1人暮らし』(テレビ朝日系)は昨年4月末から6月末まで放送され、思いがけず好評だった。

 このドラマは『ビッグコミックスペリオール』(小学館)で連載中の、津村マミによる同名漫画が原作。コミック版は累計100万部を突破し、アニメ版はNetflixで全世界に向け放映された。

 コミックやアニメでは、訳あって“アパートの清水”203号室で一人暮らしを始めた、4歳の男の子・さとうコタローの目線から、取り巻く隣人=202号室に住む漫画家・狩野進=はじめ、地域の人たちとの交流がほのぼのタッチで描かれる。一方、ドラマ版は横山演じる狩野が主人公となり、コタローを取り巻く人間模様に力点が置かれている。

■『コタローは1人暮らし』で大反響

 コタロー役の川原瑛都(ちょうど8歳)のあどけなくも健気な好演にまず惹き込まれた。共演陣も山本舞香西畑大吾なにわ男子)、百田夏菜子ももいろクローバーZ)、生瀬勝久光石研大倉孝二イッセー尾形(大家の爺さん婆さんの1人2役)と、深夜の30分ドラマにしては妙に豪華。

 たった2か月での打ち切りは少々残念に思える。覇気がなくものぐさで、それでいて心根は優しい狩野も横山の柄に合っていた。映画やドラマのレビューサイトを確認すると、明らかにジャニヲタではない、一般視聴者にも好評のようだ。

シリーズ化を期待する声も多く、ひょっとしたら映画版の製作もあり得るかもしれない。

関ジャニ横山裕がとてもいい!!! いいわぁー!!! 初めてこの人出てるドラマ見たけど、とてもいい感じの役でハマってました!!!!!〉

〈コタローがかわいいんじゃ 横山裕いけてるんじゃ ほっこりするし考えさせられる〉

横山裕の壮絶な過去

 ネットで「横山裕」で検索すると、すぐ「生い立ち」というワードが出てくる。19年12月28日放送の『NHKスペシャル 令和家族 幸せ探す人たち』で、横山が自身の壮絶な過去について語ったためだ。この番組はいくつかの動画サイトにアップされており、現在でも内容を確認できる。

 2組の家族の幸せを求める姿を追う、この番組ではまず、虐待やネグレクトなど様々な理由で、実の親と離れて子どもたちが暮らす里親家族を訪ねる(一方で、30年以上前に夫をがんで亡くした脚本家の橋田壽賀子の日常を、長年連れ添った妻を亡くして間もない元野球監督の野村克也が見つめるという2部構成になっている)。

 自らも幼い頃に両親が離婚し、義父に虐待を受け、祖父母の下で育てられた経験を持つ横山が里親家族の訪ね人になる。

 そこで横山が語った半生は確かに悲惨だった。裕福な家に生まれながら、両親の離婚を機に3歳で実父と別れ、5歳で母が再婚した義父にも馴染めず、しばしば手を上げられた。そして、祖父母に預けられるも、中2で祖父が病没したため家に戻り、再び暴力を受けるようになり、高校進学も許されなかった。

 横山は建設会社に就職し、ほどなくジャニーズ事務所に入所し、レッスンを重ねたのだ。訪問した里親家族も『コタローは1人暮らし』の設定も、彼にはとても身近だったわけだ。

■オニギシの思い出

 5歳以降14歳まで母とも離れ離れだった横山だが、29歳で突如その母も亡くしている。横山は関ジャニ∞の派生グループの「三兄弟」で『オニギシ』という曲もリリースしたが、そこで母の作ってくれたおにぎりへの想いを歌い上げた(幼い頃の横山はおにぎりを「オニギシ」としか発音できなかった)。

 そもそもお袋の味にあまりありつけなかったのに、もう二度と食べられない。そんな生い立ちを微塵も感じさせず、いつも剽軽に振る舞う横山。格別ファンでなくとも、手料理でもてなしたくなるだろう。

 また、大衆食堂や町中華など本来のB級グルメ的な店は、そんな寄る辺のない独り身たちにとって、家庭を感じさせる味とサービスを提供してくれる貴重な場。ところが、横山は町中華に疎かったそうだ。

 そして、長らく木曜レギュラーを務めていた『ヒルナンデス』(日本テレビ系)の18年11月15日放送回で、中華屋が50軒以上ひしめく高田馬場を訪問。ようやく町中華の真髄に触れた。

■馬場に店を構えて70年という老舗

 番組では3軒の「町中華」を紹介した。うち1軒は中国人経営の中華居酒屋(華翠苑、ゲストの仲野太賀がスタジオで「エビチリ玉子丼」を実食)で、本題とはいささかずれる。

 もう1軒はより駅近のため、筆者も今なお繁く通う「秀永」で、看板の回鍋肉風の野菜炒めに目玉焼きが載った「ほんこん飯」は確かに本場に匹敵する味(同じくジャニーズWEST桐山照史が実食)。

そして最後、横山や友近らレギュラー陣が訪れたのが「一番飯店」だった。

 実は筆者はこの店の真裏に社屋がある出版社で、大学時代から数年間働いていた。だから、週に3日かはここで昼飯か夕食を食べた。馬場に店を構えて70年という老舗だが、当時は先代がまだ元気に中華鍋を振るい、2代目はほぼ出前に徹していた。

 なんでも美味かったが、炒飯は鉄板で、中華丼+半ラーメンがついた2番セットなどもよく食べた。2代目が店を切り盛りするようになって、夜の飲みに力を入れ、小皿メニューが充実しだした。今では全メニュー70種以上を誇る。それもこれも、客のリクエストを2代目が受け入れた結果だ。

手塚治虫も通った店

 その先例はもはや伝説になっている。近所にプロダクションを構える手塚治虫は毎日のように、同店から出前を取っていたが、日々忙殺されていて、食事も1日1度だけ。だから、栄養価の高いメニューをと、「焼きそばの上に八宝菜を載せて」とリクエストしたのだ。それが「特製上海焼きそば」。

 一番飯店をメディアが取り上げる際には決まって紹介される。だから、『ヒルナンデス』でも出演者のリクエストに応えて何品か作り、中でも自信作は期間限定で実際のメニューにも掲載されるという展開となった。

 もっとも、横山のリクエストはここでも“オニギシ”のように王道で、10分で作れる中華風カレーだった。

 具材は豚バラ肉と玉ねぎのみで、豚と鶏のガラスープにカレー粉を入れ、醤油と砂糖とオイスターソースで味を整え、水溶き片栗粉でとろみをつけるだけ。これぞメニューに採用されるべきシンプルな一品だが、もっと見栄えのいい友近発案の「とり天とイチジクの甘酢あんかけ」が実際には提供された。

 筆者もこんな番組の模様を見るにつけ、一番飯店でかつての仲間と集いたくなってきた。23~24歳で母を亡くし、当時界隈で他に行った店もほとんど残っていない。だから、いろいろわがままの言える、この店はお袋の味の延長線上にある。そして、次回利用した際は2代目に伝えよう。「〆は横山に出した中華風カレーにしてほしい」と……。


参照元:https://dailynewsonline.jp/